国際結婚×沖縄移住×セミリタイア(を目指すブログ)

国際結婚夫婦の日常や日中ハーフの子育てについて書いていきます。

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母親が認知症になってしまいました。。

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こんにちは、こんばんは、おはようございます。akasha88です 。

 

ちょっと重い話になってしまいますが、実は少し前から母親が認知症になってしまいました。。

 

沖縄移住する前に3か月ほど埼玉県の実家にお世話になっており、その時には母親と住んでいたのですが、その時は何も感じませんでした。

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母の異変

元々上海から前職を辞めて日本に戻った理由の一つとして、一人で暮らす母親の事もあったのですが、一緒に暮らしてみると特に一人で暮らすことに寂しそうな事もなく、大丈夫そうだなぁと思って沖縄移住しました。

 

ただ半年ほど前、姉から連絡があり、

 

「お母さんがちょっとおかしい」

 

と言っていました。

 

聞くと、珍しく姉がどうしても仕事の関係で忙しく、子供を母に面倒見てもらっていた時に母が、

 

「お父さんのご飯用意するから、帰るね。」

 

と言ったそうです。

父は2019年に他界しており、私が実家でお世話になっていた時に母と一緒にお墓参りもしました。

 

その日は何とか収めて、子供の面倒を見てもらったそうですが、その後も同様の事があったそうです。

 

私も一度実家に帰り様子を見てみたのですが、一人暮らしなのに父や父の仕事関係という人、死んだおばあちゃんの食事の準備をしていました。

 

最初は悲しかったのですが、だんだん達観してきました。

きっと人間いつかこうなるのかなぁ、と。

 

私が沖縄移住してしまったため、母の事はかなり姉に任せてしまいました。

非常に申し訳ないと思っています。

 

上海にいたときは、前職の会社の命令で上海に赴任していたのですが、現在は自分の意志で沖縄にいるため、何とも言えません。

 

定期的に母に電話しているのですが、最初はLINEでビデオ電話していたため、子供と一緒に話していたのですが、LINEの操作がおぼつかないため、現在では普通の電話となりました。

 

普通の電話だと、子供がしゃべらなくなってしまうので、事務的に、

 

「薬ちゃんと飲んだ?元気?」

 

くらいしか会話にならないため、出来るだけビデオ電話にしたいのですが、、、

 

 

しかし今度姉のおかげでグループホームに入れることになりました。

嫌がらず入ってくれる事を切に望んでいます。

 

ここで終わってしまうと、ただの悲しい報告になってしまうので、母親が認知症になってしまった原因を考察したいと思います。

 

特に今私が働いている会社では、母と同い年(72歳)の人がパートでバリバリ働いており、少し思うところがあります。

 

母親が認知症になってしまった原因の考察

①父に頼りっぱなしだった。

20代の頃は少し社会人として働いており、その後父と結婚。

専業主婦になった後は、自分を含め子供が大きくなったらパートをしていました。

 

父が転職し独立して事務所を持った後は、父の秘書として働いていました。

ただ秘書といっても、恐らくバリバリ仕事をしていたというよりは、来客者にお茶を出したりコピーを取ったり、父と一緒に来客者の話を聞いていただけだと思います。

 

家計簿は母がつけているものの、大きなお金関係はほとんど父が管理しており、父が他界してからは、四苦八苦して確定申告しております。

 

時代といえば時代ですが、家事関係は母が主に担当していたものの、それ以外の事はあまり分かっていなかった様です。

 

仕事関係は基本的に父に言われた通りやっていただけで、自分で何か考えていた訳では無いようです。

②交友関係が少ない

これは私自身にも言えることですが、母は交友関係が少なく、普段おしゃべりする友達などがかなり少ないです。

 

一応同じマンションに比較的良くおしゃべりする友達(私の同級生の母)がおり、母の事を相談に行ったところ、その友達自体が認知症になっておりました。。

 

実家が秋田県で、転勤族のためその後いろいろと引っ越しした事もあり、近くに学生時代からの友達などはいません。

 

麻雀は認知症に良いかも

ちなみに1年半前に一緒に住んでいた時に私は母に麻雀を進めていました。

日本では賭け麻雀のイメージもあり、あまり良くない印象を持っている方も多いかもしれませんが、麻雀は4人でおしゃべりしながら、手を使い、頭を使うとてもいいゲームだと思っています。

中国では公園で、麻雀やポーカー、下棋(中国の将棋)をやっている人がいっぱいいます。

ちなみに中国では知らない人とでもいっしょに遊んだり、一緒にダンスしたりするので、日本よりフレンドリーです。

 

 

話を戻すと、母の交友関係で一番大きいのは性格だと思います。

 

私の奥さんなんかは、異国の沖縄で近所のおじいちゃんやおばあちゃんと仲良くなり、おじいちゃんからは子供のお小遣い、おばあちゃんからは一緒に花火やったり、おばあちゃんの親戚が育てたマンゴーをもらっていました。(美味しかったです。)

 

いやぁすごいコミュ力、、

 

③社会とのつながりが少ない

交友関係はしょうがないとしても、父が仕事を辞めてからは秘書である母も自動的に辞めており、その後は隠居生活をしておりました。

 

父がいた時は、父が話し相手になり二人で散歩などをしていたのですが、父が他界してから話す人がいなくなりました

 

特にサークルや趣味友達などもおらず、仕事もしていないので必然的に社会とのつながりが少なくなってしまいました。

 

良くも悪くも?お金はあるため、働く必要は無いのでますます孤独になってしまいます。

 

認知症になる前に週1日でも働けば?と言っていました。

その時はお花屋さんか何かで働きたいと言っていましたが、やはり切羽詰まっていないため、本気ではなさそうでした。

 

ただ本人は(恐らく私と似ていると思います。)別に交友関係が少ない事は、どうでも良さそうではあります。

 

栄養や運動

幸いにも栄養面運動面に関しては、恐らく平均以上だと思います。

元々肉より魚が好きで、ほぼ毎日鮭を食べていたり、散歩は毎日2~4キロくらいはしている様なので、運動面や栄養面は問題ないと思います。

(しかし動ける認知症の方が、勝手に徘徊したりするため面倒見る方は大変というツイートを見ました。。)

 

やはり脳機能にかかわる活動精神面のところが大きかったのかな、と思います。

 

今思うこと

母はまだまだ身体は元気なので、何とか認知症が改善して欲しい気持ちもありますが、そもそも父が生きていると思っているのは、寂しいからかもしれません。

よく、虐待されている子供は、自分の心を守るために別の人格を作り出すと言いますが、母もそんな状態なのかもしれません。

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本当は父が死んだ事は分かっているものの、それを認めてしまうと寂しくて他におしゃべりする人もいないため、生きている事にしているのかもしれません。

 

なので、父が死んだ事を再認識する方が母にとってはつらいのかもしれません。

 

そうだとしたら、やはりおしゃべり出来る、信頼出来る友達を作る事が大事なのかもしれません。

グループホームでそういった人がいればいいなぁ。